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「日吉の歴史」のお話 その続き③

”来年、日吉駅に新たな歴史が!・・・、「約100年弱の変遷」”

多量の地下水との格闘難工事を経て、鉄道・運輸機構東京支社は、本年7月22日に新横浜の新駅(横浜市港北区)で神奈川東部方面線(相鉄・東急直通線)のレール締結式を行った。神奈川県の黒岩祐治知事は「利用者目線で作られたネットワークで本当に便利になる」と高く評価。横浜市の山中竹春市長は「それは悲願だった。市民の皆さんの利便性の向上が大きく改善する」と期待を込めてあいさつしました。

 

神奈川東部方面の海老名発~大和~、及び湘南台発の2線が合流し、二俣川~西谷「相鉄・JR直通線」(既に運行)と前述の「相鉄・東急直通線」(2023年3月の開業)の2系列の整備が完了すると「相鉄・JR直通線」の西谷駅~羽沢横浜国大~武蔵小杉~西大井~大崎~恵比寿~渋谷~新宿のルートにくわえて、西谷駅~新横浜駅~新綱島駅~日吉駅を経由して東横線経由で渋谷駅までのルートと、日吉駅から目黒線経由で目黒までのルートの3路線がそろうことになり首都圏に向けて新しい交通インフラが誕生します。

すでに、2008年(平成20年)3月30日開通の市営地下鉄4号線グリーンラインによって日吉駅はJR横浜線中山駅とも結ばれ、港北ニュータウンのセンター北、センター南の乗り換えによって、田園都市線あざみ野、JR横浜、桜木町、関内、京急上大岡、JR戸塚方面へのアクセスも良くなっています。

 

さて、この日吉駅、いつ頃誕生したのだろうか・・・?

港北区史を紐解くと、

~東京横浜電鉄は、目黒鎌田鉄道と手を結び、大正15年(1926)2月14日、丸子多摩川(今の多摩川)と神奈川(今の反町と横浜の間)間に神奈川線を開業した~と記されています。日吉駅が開設され、確かに、当時それまでは東京へ行くのに、国鉄の神奈川か川崎まで歩いていた日吉の住民にとっては(自転車を持っていた人は50人に1人)大きな朗報であり、同時に地域の生活も大きく徐々に変わって行きました。

 電車とはいっても、当初は一両編成の64人乗り木造車で、日吉駅の乗降客はわずか数人で、駅もプラットホームだけで、駅員もおらず、切符は車内購入でした。利用客が少ないため、市電や新聞に広告を出したり、「綱島温泉入浴無料特典付き往復乗車券」をキャンペーンしたりと乗客誘致に力を入れていました。また、田園調布と同様の半円型放射状をした日吉台区域の新規宅地分譲も開始されました。

 この丸子多摩川と神奈川間(全長14,7km)の工事は初めから複線鉄道として工事が行われ、多摩川に381mの鉄橋を架けたり、高島山にトンネルを掘ったりしたため、1km当たり36万円の工費がかかりました。当時、青梅鉄道や川越鉄道は1km当たり3万円程度で建設されていました。

 

 この電車開通以前、大正時代の日吉に居住する人々が横浜、関内方面に出る場合は大綱橋のたもとにある入船亭前まで歩き、そこから現在の東神奈川駅行きの乗合幌馬車を利用していました。所要時間約一時間/定員10名/運賃15銭。これに比べ、電車の運賃は一区間当たり7銭となり、丸子多摩川から神奈川まで片道全区間では、35銭でした。

 

 因みに、当時の大卒サラリーマンの初任給(月給)は、50円。職業婦人の平均月給はタイピスト40円、電話交換手35円、事務員30円。

米1升(約1.8L、約1.5kg)が40銭。もりそば一枚10銭。日本酒一升の値段は、上等酒で1円89銭、並等酒で1円。タクシーの初乗り料金は最初の1哩(約1.6km)が60銭だった。また、純金1gあたりの小売年間最高価格は、1925(大正14)年で1円73銭。

((それぞれ現在はどうなっているかというと、大卒初任給は21万円程度、米一升で1,000〜2,000円程度、タクシーの初乗りは410〜730円程度、金1gは6,500円程度です(2020年5月現在)。当時の暮らしがイメージできたでしょうか? ))

 

 そんな時代から約100年弱、経った2022年。インターネットやスマートフォンなどのおかげで、場所にとらわれず働いたり、遠方の人とコミュニケーションがとれたりと、当時からすると想像もつかないような社会になり、生活のあり方は大きく変わったと言えるでしょう。100年という時間は、私たちの社会をこうも大きく変えるのですね。

逆に今から100年後は一体どんな社会になっているのでしょうか。それはおそらく100年前の人たちが今の社会を想像できなかったのと同じです。

 

 しかしそれでも、ずっと先の未来にも思いをめぐらせてみたいものです。当たり前のことですが、100年後とは、今年生まれた赤ちゃんが100歳になる頃です。そう考えると「100年後」がちょっと身近に感じられないでしょうか。

 

 お互いに日々忙しく過ごしていると、なかなか遠い先の未来に思いを馳せることは難しいかもしれません。広く長い視野でものごとを見て、感じて、考え、日々の変化を楽しんでいきましょう。

 

今回はここまでとして、次回も、また少し「日吉の歴史」を探求して行こうと思っております。

                  スマイル日吉 大島


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